「悟り」とは「差とり」

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(宇治 平等院鳳凰堂での空)

だれでも一生懸命生きています。

だれの人生も波乱万丈ですし、
平凡な人生であれば生まれてくる意味はない、と感じます。
波乱万丈のその中にこそ色々な学びや気づきがあり、
人としての成長と進化、魂の成長があります。

結局、人は自分の道しか歩くことができないようですね。

その道をてくてく歩いている中で「いまの自分がすでに幸せ」であると思うこと。
ここに気づいて感謝できることが人生の本当のスタート地点なのではないか、
そんなことを考えます。

人間の一番の欲求と言われている「自己の重要感」。
この欲求を日常の生活の中での鍛錬で少しずつ少しずつ削っていき、
他人と自分の中の差を徐々になくしてその距離を近づけていけるか。

この修行は生涯かけてのことだと思いますし、どうやら天井はなさそうです。
まず、すぐにできることは、いついかなる時でも気元をよくして
「笑顔」を世の中に発信していくことでしょうか。

「悟り」とは「差とり」である。

と、ある成功者がそうおっしゃっていました。

日常の修行は続きます。

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