大切にしたものがかえってくる


(清水五条の大谷本廟にて)

「命」という文字は「人は一度は叩かれる」と分解できます。

人間関係で叩かれ、仕事で叩かれ、お金のことで叩かれ、健康を崩して心身が叩かれる。ここまでの道のりを振り返ってもいろいろなことで叩いていただいた感じがしますが、その経験から学んだことを現実に活かしながら、いまは生きて、生かされているだけでもありがたいな、とほんの少し思えるようになってきました。笑

そして、「叩かれた」というのは何かしら真理から外れて、ずれていることをしていたと省みます。

宇宙の法則的なことばを借りると「いまの状況はあなたがすべて創り出している」というのがありますが、そうであれば起きていることは誰のせいにもできませんし、「いまの状況はあなたが大切にしたものでできている」ともいえると思います。

人を大切にすれば人に助けられますし、
仕事を大切にすれば仕事という報酬で戻ってきますし、
お金を大切にすれば蓄財できますし、
健康を大切にすれば日々心身が空気のように軽い状態となります。

「命」は「いのち」とも「みこと」とも読めます。「自己管理」「コンディションづくり」というのは、結局どれだけ自らのいのちやみことを大切にできているか、日々いただくものや接する人やもののいのちやみことを大切にできているかの積み重ねの上に成り立っていると思われます。

と、偉そうなことを述べていますが、「叩かれる▶気づく▶改善する」というサイクルそのものが一つの人生や魂のテーマだったりするので、叩かれることも必要不可欠なことかもしれませんね。笑

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