2017年 4月 の投稿一覧

エネルギースポット

(京都、愛宕山に鎮座する愛宕神社総本宮への道中のことば)

心と体のエネルギーを癒やし、清め、整えてくれるエネルギースポットについて。

「パワースポット」ということばが流行って久しくなりますが、人の邪念や手入れが行き届かないことにより、パワーが落ちてきていると感じるお山やお社は少なくありません。お伊勢さん、八坂さん、明治神宮などは年間数百万規模の参拝者にも関わらず、清浄なエネルギーを維持できているのは掃除という手入れと日日の祝詞のなせる領域だと感じます。

さて、個人的にPCやスマホの発する電磁波に弱く、夜になると朝よりも体がだるくなるタイプのため、なるべくその日のうちに放電して心身のエネルギーを回復させるかを考えています。肩こり・頭痛・目の疲れや乾きの症状は電磁波の影響が大きいでしょう。ふくらはぎの張りは座っている時間に比例します。

エネルギーを回復するには質のいい食、入浴、音、ストレッチ、眠りに加え、自然に触れる行為が威力が高いと思われます。仕事後にお山やお社にいければいいのですが、たいてい閉山、閉門されているため、自宅近くのヒマラヤ杉や欅に両手を近づけることで回復を試みています。木に直接触れずに幹から手を5センチくらい離していても十分にエネルギーは入ってきます。自分なりの回復スポットをいくつか持っていると心身の健康面では安心ですね。

都内で自然に触れられるところだと、皇居外苑、有栖川記念公園、新宿御苑、林試の森、多摩川沿い
お山で比較的身近なところだと、高尾山、相模大山、筑波山、秩父、鎌倉アルプス
が代表的でしょうか。

エネルギーが回復できていない状態での仕事はセンサーが鈍り、決断が鈍ってくる、と感じます。これだけだとまだいいのですが、回復できていない状態が続くと徐々に気が弱まり、病になりがちです。その日の疲れはその日のうちに回復することで自分をいたわってあげましょう。

(余談)
明治神宫では手水舎より50メートルほど手前のこの場所が参道の中ではもっともエネルギーがあるように感じます。時々佇んでいますが、なぜか人通りが少なく放電できてのんびりできるところです。

モノの向き

(蔵書の一部 おそろしく思想に偏りが)

整理と整頓を日日の習慣とし、気持ちのよい空間をつくることで、心が軽くなり、人やその場の波動があがり、ひいては、運が上昇していくために、考えていることをつぶやいてみます。

整理・整頓のための3つの意識。
① モノ本来の向きに正す
② モノを重ねない(モノの上にモノを置かない)
③ 床のスペースを確保する(床に直接置くモノを減らす)

整理・整頓の着手は何はさておき①から。例えば本。横になって寝ていたり、タイトルが逆さまで立っていると、万物にいのちが宿るという神さまの教えをお借りすると、モノ本来のいのちが削られているように感じます。いのちが削られ軽くなることで、その場に気枯れ(穢れ)が生じてきます。気枯れが進むと人の心の闇の部分とつながり、さらにそこにモノが溜まっていくという摂理です。

人の心には光と闇の部分があります。家や職場の気枯れは心の闇の部分を増幅させ、簡単に体調を崩してしまうきっかけになるので特に注意が必要です。

②の身近な例は洋服とかお皿とかでしょうか。これは単純に重ねられた下の方のモノが呼吸ができなくて苦しいだろうな、という理由です。一流と評価されている料理屋や長期的に繁盛しているお店で余計な重なりを見ることは滅多にありません。

③は風水の世界では基本とされていることですが、目指すは美術館やお寺の本堂のような空間ということだと思っています。

お知り合いの宮司の方々は「一番の神ごとは掃除や片付けです」と口を揃えておっしゃいます。21世紀は心や魂の在り方がいままで以上に大切になってくる、と記されている精神世界の著作は多いですが、身の回りのモノの心や魂も同じように大切にすることもあわせて大切だと感じます。

整理・整頓は心の光の部分を維持することに寄与してくれるので、その人そのものを救うことにつながっています。J.S.BachのAir on G stringを聴きながら、自身の心の闇の部分を再確認できた朝でした。笑

水とのおつきあい

(水神宗社の丹生川上神社

吉野郡東吉野村に鎮座する丹生川上神社(中社)のご祭神は「罔象女神(みづはのめのかみ)」、水一切を司る水利の神さまです。先月お参りしたお社の話からスタートしましたが、お米、お塩に続き、今回は人が生きる上で切り離せないお水のことについて。

万物を目に見える部分と目に見えない部分に分けて考えると、水というものの目に見えないエネルギーの性質については、2014年に他界された江本勝さんの世界的ベストセラーになっている「水は答えを知っている」がさまざまな結晶の形を写真付で表現されていてとてもおすすめです。水にかけることばや音によって姿を変える結晶の姿は大自然のエネルギーの法則が凝縮されているようで畏怖の気持ち、そのあとに感謝の気持ちが湧いてきます。

「水が合う」ということばはその土地の住みやすさをあらわすものですが、過去に旅したインド、エジプト、モンゴルのそれは日本の質の高い軟水と比較して口にするのもお風呂につかるのも正直厳しいものがありました(笑)。国内だと京都と高千穂のお風呂の水質のよさがいまのところ印象に残っていますが、お風呂に毎日浸れる、ということがそもそも幸せなことだと思います。

お山を中心とする生態系が歳月をかけ少しずつ崩れ、原発のこともあり、いつまでこの国の水質を維持できるかわからないところですが、お水と日日向き合っておつきあいすることに変わりはありません。職場と自宅の神棚のお水を取り替えることは毎日の大切な習慣の一つですが、最近はお水を新しく取り替えることを忘れていると心が少しだけ重くなるような感じがしています。

いただくお水とつかわせていただくお水にありがたい、という気持ちを忘れないような習慣を醸成させていければと思います。

(旅の余談)
「いままでで一番美味しかったお水は」と尋ねられると青森十二湖の湧壺池からの清水でしょうか。ブナの原生林でも有名な世界遺産の白神山地からのお水です。歩きまわって体がからからだったので美味しく感じただけだと思いますが。笑

ストレスのサイン

(洛中で出逢ったことば)

生きていると、自分でも気づかないうちに身近な人間関係や仕事のことで感情をためこんだり、まだ起きていない未来に不安を抱えたりし、ストレスというものが日々随時発生していると思われます。ストレスは体のエネルギーの流れを滞らせるため、心のみならず体も重く感じるようになります。

そもそも心というのはころころ変わりやすい性質を持っています。今日は幸福感に満ち溢れているけど翌日になるとなんか気持ちがあがってこないな、やる気がおきないな、ということも多々あるかと思います。

「人間は幸せになるために生まれてきた」とするならば、ストレスはデフォルトで発生する長くおつきあいする相手だと思い、それでも「心を軽くし、幸せを感じる」という日々のゲームとして捉えることができると考えます。

ストレスがたまってくるとわかりやすく体にサインを出してくれます。
◯髪・顔・爪のツヤ
◯顔色(臓器の不調による)
◯体重の増減(2キロ以上)

さらに負荷がかかると、腰・頭・歯の痛み、顔の腫れ、微熱が続いたりして「それ以上ストレスを進ませては心身によくないですよ、もっと自分を大切にしてくださいよ」という神さまからのお知らせがやってきます。

ちなみに自分の場合はストレスにより
◯朝全然起きれなくなる(三度寝くらいする感じ)
◯円形脱毛になる(小学4年生くらいから)
というのが振り返ってみるとストレスが表に出てきた歴史になります。笑

心がいつも軽い状態であることは理想ですが、体の筋肉をつけるにはある程度の負荷が必要なように、それなりの負荷のかかる経験や出来事が心の筋力アップにも必要なのでしょう。思い起こすと無職で、借金を背負い、家もなく、家電もない時期もありましたので、こういう経験をさせてもらったことが心の筋力と幸せを感じる力をあげてくれているだろうな、と感謝する日日です。

いまのところストレスを劇的に緩和してくれるナンバーワンと思っているのは、山登り(森林セラピーともいう)でしょうか。心と体によく効きます。もっと身近にできることだと正しい呼吸と正しい姿勢からアプローチしてくれるヨガとか。あとは弱っているときにお肉を食べる、とか、大きな声で歌ったり、踊ったり、エネルギーの高い神社にお参りしエネルギーをいただく、とかですかね。

自分なりに心を軽くする習慣を身につけているとこの世は生きやすくなると思います。