自然

木霊


(屋久島のガジュマルに棲息する木霊)

wikipediaでは「木霊(こだま)は樹木に宿る精霊である」と定義されています。
屋久島の木霊は2つの目をもっているのが特徴で、木霊の中でもめずらしい、と地元の方が語っていました。

「もののけ姫」のモデルになった屋久島、宮崎駿監督が何度も足を運んで構想を練り上げたとのことで、普段は目に見えない木霊の存在もよくわかっていたのでしょう。

6年前の前回は桜島を望む錦江湾からの高速船、今回は鹿児島本土乗り継ぎの飛行機で島に入りましたが、着いた瞬間から体全体に大いなるエネルギーを感じられるところはそうそうない、と思われます。特にエネルギーが高い場所では時間がゆるす限り、2泊以上のステイをおすすめします。なぜなら1泊だけだと心身の奥深くにエネルギーが染み込むには時間が足りず、浅い充電で終わってしまいますし、人の持つエネルギーの器が広がりづらく、もったいないからです。

白谷雲水峡コースにある「苔むす森」。2011年3月撮影。
山にはまだ雪がちらほら残っていました。
観察していると、ここではだれもが歩みの足をとめ佇んでいます。

今回の「苔むす森」の姿。
風雨にさらされたであろう倒木が少し痛々しくもあり、厳しい自然の摂理を目の当たりに。
屋久島には600種類の苔が生育している、と言われています。

宿からの景観(右からモッチョム岳、耳岳、石割岳)

旅の方たちと山歩きの道中や温泉で話す機会がありましたが「屋久島は6回目です」「10回は来ている」とか、島に魅せられてのリピーターが多いようです。九州在住の方はフェリーでクルマを持ち込む方もそれなりにいましたね。

あらためて目に見えないいのちの大切さを実感するとともに、充電したエネルギーを世の中に還元できるような生き方をしたいという気持ちになりました。

青もみじ

東山からの陽光を浴びる南禅寺本堂への道

三門でのおやすみのひととき

東福寺臥雲橋からのたそがれ時

新しいいのちがたくさん芽生えてくる新緑の時節。
過ごしやすく、花鳥風月を味わうにもこの季節が一番好きという方も多いのではないでしょうか。

この時期はお花はもちろん、いちょうやけやきなどの木々もいつもより輝いているように感じますが、特に青もみじに惹かれます。京都の主要な青もみじスポットには足繁く通っているのですが、気づくと南禅寺と東福寺には前世のお坊さんの時の記憶が今世に出てきているのではないか、と思えるほど毎年この季節に足を運んでいます。笑

さて、健康の根っこのところが日日の食事と心のあり方の2つの要素で成り立っているとすると、「食事3割、心7割」という比率だと感じます。質のいい食事をしても心と体への影響はせいぜい3割程度です。残りの7割はいかに心を軽くしておくか、心のバランスをとっておくか、ということの方が健康状態を決める大きな要因となります。

心と体は完全につながっているので、心が軽いと体も軽くなります。逆に体が重く感じるなら何かしら心に不調の原因があり、まだ起きていない未来への不安や怖れの気持ちがその重みをつくっていることが多いですし、ポジティブやネガティブに寄りすぎてもバランスを崩します。

心身を軽くする選択肢の一つは自然を愛で、自然のエネルギーに触れることです。自然の持つ力は人のエネルギーを頭のてっぺんからつま先までを整えてくれるので、結果として体が軽くなった感じがするはずです。人間も自然の一部であり、自然に触れることで人間のエネルギーが自然のエネルギーに波長が合ってきます。科学的には植物の発するフィトンチッドが癒やしや安らぎをもたらしている、とも言われますね。

健康を増進してくれるには、目に見える食べものの力以上に心のあり方という目に見えないものが大きな役割を果たしている、ということが今回一番お伝えしたかったことです。

新しいいのちが芽生えるこの季節にしっかり気を充電し、生きる活力になるといいですね。

エネルギースポット

(京都、愛宕山に鎮座する愛宕神社総本宮への道中のことば)

心と体のエネルギーを癒やし、清め、整えてくれるエネルギースポットについて。

「パワースポット」ということばが流行って久しくなりますが、人の邪念や手入れが行き届かないことにより、パワーが落ちてきていると感じるお山やお社は少なくありません。お伊勢さん、八坂さん、明治神宮などは年間数百万規模の参拝者にも関わらず、清浄なエネルギーを維持できているのは掃除という手入れと日日の祝詞のなせる領域だと感じます。

さて、個人的にPCやスマホの発する電磁波に弱く、夜になると朝よりも体がだるくなるタイプのため、なるべくその日のうちに放電して心身のエネルギーを回復させるかを考えています。肩こり・頭痛・目の疲れや乾きの症状は電磁波の影響が大きいでしょう。ふくらはぎの張りは座っている時間に比例します。

エネルギーを回復するには質のいい食、入浴、音、ストレッチ、眠りに加え、自然に触れる行為が威力が高いと思われます。仕事後にお山やお社にいければいいのですが、たいてい閉山、閉門されているため、自宅近くのヒマラヤ杉や欅に両手を近づけることで回復を試みています。木に直接触れずに幹から手を5センチくらい離していても十分にエネルギーは入ってきます。自分なりの回復スポットをいくつか持っていると心身の健康面では安心ですね。

都内で自然に触れられるところだと、皇居外苑、有栖川記念公園、新宿御苑、林試の森、多摩川沿い
お山で比較的身近なところだと、高尾山、相模大山、筑波山、秩父、鎌倉アルプス
が代表的でしょうか。

エネルギーが回復できていない状態での仕事はセンサーが鈍り、決断が鈍ってくる、と感じます。これだけだとまだいいのですが、回復できていない状態が続くと徐々に気が弱まり、病になりがちです。その日の疲れはその日のうちに回復することで自分をいたわってあげましょう。

(余談)
明治神宫では手水舎より50メートルほど手前のこの場所が参道の中ではもっともエネルギーがあるように感じます。時々佇んでいますが、なぜか人通りが少なく放電できてのんびりできるところです。

北鎌倉 散歩

東慶寺の紅白梅)

都会での生活は便利な反面、自然とは対極にある人工的な空間で過ごす時間が多く、気が枯れてくる(気枯れ・穢れ)感覚に陥るときがあります。人間も自然の一部ですから、自然とのバランスを適度にとることが心身のエネルギー維持にはとても大切です。

さて、自然の気をさっとチャージして体内に強い気を取り戻したい時は比較的アクセスのいい北鎌倉の地によく足を運びます。東京から電車で向かうと、大船駅と北鎌倉駅の中間を越えたあたりからまず気が変わります。写真の東慶寺は北鎌倉駅から徒歩1分ほどの地にある尼寺で、境内の後醍醐天皇皇女の墓所の辺りからさらに気が変わります。朝の静謐な空気を吸い、美しい花々を愛でているうちに体内にいい気が流れ込んでくるのを感じます。

(相模湾と建長寺を眼下に)

東慶寺をあとにして自然散策に。
普段はアスファルトが邪魔をして地のエネルギーを得ることはなかなかむつかしいのですが、自然の土の上を歩くと直接地のエネルギーをいただきやすく、鎌倉の地はそういう点においてもおすすめです。

時々歩く天園ハイキングコースは全長約4kmのゆるやかな散歩コースです。通称あじさい寺ともいう明月院の脇から、もしくは、建長寺境内からハイキングコースにつながっています。

(富士見台から望む冠雪の霊峰富士)

「山は癒やし、海は浄化」とも言われますが、この地は山と海の両方のエネルギーを身近に感じることができることも魅力のひとつです。歩いた後、海のエネルギーを取り入れたければ、材木座や由比ヶ浜、余裕あれば長谷の方まで足を運び、裸足になって砂浜を歩くのも自然からの良質なエネルギーをいただけます。

冒頭にも述べた「人間も自然の一部ですから、自然とのバランスを適度にとること」とは、「中庸である」ということです。ストレスや気の状態は目に見えないものだけに、いまどういう状態であるかということに自ら気づける習慣を取り入れることが長期的にコンディションを良好に維持するための解決策ではないか、と思っています。

くどいようですが、人間も自然の一部です。時には心身を自然の中に放牧させてあげましょう。

野の花

野の花

戸隠の夏は30℃、冬はマイナス20℃まで。

この50℃にも渡る気温の差、この差に耐えて、耐えて美しい花を咲かせます。

京都を歩いている時も同じことを思うのですが、
この厳しい寒暖の差が強さや優しさを伴う美しさを生み出すのでしょうか。

次回はしんしんと雪降る冬の戸隠でおそばと日本酒を楽しみに。
満天の星空も。

鏡池

鏡池

ふらっと信州戸隠へ。
友人にいいよと薦められた早朝の鏡池を眺めながら、

「人間は何も持たずにこの世に生まれ、何も持たずにこの世を去る」

そうすると

「この世の持ち物は所有ではなく、すべてリース」とも言え、そもそも物に対する執着は生まれない、ってことをふと考えていました。

「持っているもの」よりも「持たないものの方が心が強い」といまのところ信じています。
得ることよりも捨てることの方がエネルギーが必要ですからね。笑